SSブログ

2/14北村薫講演会@桶川市民ホール [演劇・音楽・アート・パフォーマンス]

「読むこと・書くこと」  @桶川市民ホール 14:00~15:30

バレンタインデーのこの日、北村さんの講演会に行ってきました。

ホールと併設されているさいたま文学館の主催。
参加は無料。往復ハガキで申し込み、ということを去年知って、
すぐに申し込みました。
応募多数の場合は抽選ということでしたが、なんとか入れたみたいです。
(当日、席はほぼ満席のような状態)


北村さんのお話を聴いたことはこれまでも何度かありましたが
こういう講演会という形式では初めてなので、いったいどんなお話をされるのか興味津津。

始まってみると、インタビュー形式で、
女性インタビュアーの方が用意した質問の順に進行していくという形で
北村さんの自由な話を聴けるかなと期待していたので、ちょっとガッカリもしたのですが
それでも北村さんの「おしゃべり」の楽しさは存分に感じられました。

北村さんは今年デビュー20周年だそうです。
その年に生まれた子供が成人する。そして、もしかしたら北村さんの『夜の蝉』なんかを読むのかもしれない。どこかの、もしかしたら長いスロープのある大学の学生として。時を隔てていても、それはきっと新鮮に鮮烈に響くのではないか、どうしてこの人はこんなに鮮やかに自分の心の中を言い当てるのかと驚くのではないか、とそんなことを考えてしまいました。客席であらぬ妄想が膨らみます。


以下、講演会の内容からは少々脱線しちゃってますが。



読むことは創作とどのように関わるのかという質問に。

北村さんは読むことが創作ですよと答える。

作家が作品を書くことだけでは完成しない。
読むことで、作品は作品として完成する。

こうしてまとめて書いてしまうと訳が分からないかもしれませんが。


そこに何が書かれているかを読み取れるのか、何を読み取れるのか、そこまでいってやっと創作は終わるのだ、と。

何かを読むには、読む力というものが要求される。
読み取ったものによって、その人の中にそれが作品として出来上がる。
何を読み取るかどう感じるかは、その人の置かれた位置や環境、年齢、経験によっても大きく変わる。
一人の人が子供のときに読んだ感想と、大人になってから読んだときとでは、感じ方が違っているかもしれない。
その、「読んだその時」に創作が為される。

大体こういうことだったような。


そうかもしれない。
同じものを読んでも、感想は様々だ。感覚が近い人でも、やっぱり違う。
そのどれかが正しいとか正しくないとかではなく
そういう風に読んだ、それによって、その人とその作品との創作が為されたのだ、と。
だから、(極端に言ってしまえば)読んだ人の分だけ作品の数がある。


ただ、北村さんは何もおっしゃいませんでしたが
読む力が無ければ作品は出来上がらない、ということが言えるであろうと思うわけで。
つまり、読み取る力を持たない人には、どんな作品も響かないし、
もしかしたらただの暇つぶしに過ぎないのかもしれない。
極論すれば、折角書いた作家の努力も時間もすべて無駄にしてしまうかもしれない。


北村さんのお話を鵜呑みにして、読んだだけで「創作した」と浮かれてはいけないゾ。

実はこれは、読む力を養いなさいという、北村さんからの厳しいメッセージであるかもしれないのですから。

そして、当日のメモを見直すと
この日のお話の内容のほとんどは、これに収れんしていくものかもしれないと
改めて思ったのです。

北村さんご自身が、幼いころから本に囲まれていたこと、その中から手あたり次第に読まれていたこと、今でも読む量は半端じゃないこと、などなど。
作品を書くために読むよりも、ただ読むために読むことの方が多いのではないかと思うぐらいに。

北村さんのように読みたいと思うけれど、
読む凡人としては、とてもそうはいかない。
冷や汗をかきながらこれからも読むことを積んでいくしかないなぁ。


で、インタビューは「書くこと」の方に移っていったのですが
正直言って、この辺りはあまり面白くなく(失礼)、
何となくどこかで聞いたような内容で、
ここで再現しても何だかまとまらないのでやめておきます。ごめんなさい。

その中で、ひとつ印象に残ったことは、やはり読むことに関連しているのですが。

沢山読んだものが、あとになって結びついて、何らかの形になるということがある。
ずっと抱いている、覚えているものが、
何年も経ってから一つの作品の重要なテーマになったり、ひとつのモチーフになったりする。

そういうことがあるんですよねぇ、と感慨深げな北村さん。

ふむふむ。


ちょっと話がそれますが、
以前、いろいろ人が母校を訪ねるというTV番組に北村さんが出演された時
子供たち(小学4年生ぐらいだったかな?)に、
外に出て謎を探そうというお話をされていました。
身の回りに、謎はたくさんあるのだと。
実際に、子供たちと学校から出ていって道を歩きながら、様々な小さな謎を一緒に探され、
教室に戻ってきてから、その謎を解明する、というか、どうやって解明していくかを、
子供たちに教えていく。そういった内容だったと思います。

北村さんは、そういう身近なところにある謎を見つける名人です。
ぼーっとしていたら感覚がボケていたら、見つけられない。
謎を謎と認識することすらできない。
でも見つけることができたら、その謎が分かったら、
世界がぐーっと広がって豊かになっていく。
北村さんを見ていると、それがどれぐらい素晴らしいことなのか、分かるような気がします。

北村さんは、多分そういうアンテナが優れている方なのではないか。

読んだものから、何が記憶に残っていくか、何が引っ掛かっていくか、
それは読んだ人の力にかかってくる。
謎に敏感な北村さんにしか見つけられないものが、きっとあるのでしょう。
そしてそれが作品の中に組み入れられた時に、読む人に何かコツンと残るものになっているのかもしれない。

そういうプロセス(と言っていいのか)を想像すると
何だかぞくぞくしてきます。

今年は、5月ごろにベッキーさんシリーズの完結編(去年12月に「文藝春秋」掲載の『鷺と雪』)が、
夏ごろにはダークな短編集が、出版予定だそうです。
さらに、周りの女性編集者さんたちの話からヒントを得られたという、「酒飲みの女性の話」も書かれる予定だとか(そう言えば、私の知っている女性編集者さんもすっごくお酒好きですね。これは相当楽しみです)。

さらにおまけ。
どの番組かは分かりませんが、
北村さんのおうちの猫さんが、TVのペット番組に出演されるそうです。


他にも、質問もまじえ、いろいろなお話があったのですが
また別の機会がありましたら。


☆途中、かなりくだけた口調になられた時があって
それが落語調で、なんだか「イイ感じ」でした。
もっと聴きたかったな~。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。