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blogなんて [ひとりごと・考えること]

もう使わないだろうと思っていたけれど、
Twitterやinstagramで単発に発するだけで充分だし手一杯だと思っていたけれど。

まとまりのあるものを作ることもいいよねと、
また最近思い始めています。

PCを変えて、以前ほど使いにくくないということもあるけれど。
といっても変えたのは一年以上前でもあるけれど。

けれど、ばっかりやね。

言い訳。

写真を元サイズのままアップロードできれば、もちっとラクなんだけどな。

テストテスト [ひとりごと・考えること]

新規記事をエントリーできるか。

まだ生きてます。

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空いている椅子 [ひとりごと・考えること]

昨日、新神戸オリエンタル劇場で
キャラメルボックス『降りそそぐ百万粒の雨さえも』の大千秋楽を観てきました。

東京千秋楽を観られなくて、このままではどこか終われない気持ちがしたので。


その新神戸オリエンタル劇場のそばにあるお店。

飲み物が大きな器で出されることで評判のこの店は
キャラメルを観にくる人たちの間でもよく知られています。

待ち望んでいたキャラメルの舞台を観られることと、
久しぶりに逢う人たちとおしゃべりすることと、
その両方が一緒になったワクワクが、
このお店の外に並べられたテーブルと椅子に満ちている。
そんな光景が見られる場所。

ただ、私は実はこの店に入ったことはありません。
ずっと入りたかったけれど、
時間が無かったり、気分的に余裕がなかったりで。
そしてもしかしたら、これからも入ることは無いかもしれません。
一緒に入りたい人が居なくなってしまったから。

キャラメルを知り始めて間もなく出逢って、
その独特の感性に刺激を受けて、
脆さと堅牢さを併せ持った危うい立ち位置に引き寄せられ、
キャラメルだけでなく様々なことを教えられた。
そしてもっともっと知りたかった人。

彼女がこの店で他の人たちと逢い楽しい時間を過ごしたことを
日記やblogで読んで、
よかったねと思いこそすれ、羨ましいと思ったことはなかった。
でも、
いつかこの店に行くのなら、彼女と一緒でなければと思っていた。
できれば二人きりでとも。

まるで想い人のような子供っぽい思い込みで、可笑しくなるけれど。


この夏の公演を、彼女にも観てほしかった。
どんなことを感じたかを、あの独特の言い回しで話してほしかった。


昨日、その店の前を通りながら
貴女の分も椅子が空いているかどうか、
気になってしまいました。


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春に逝った彼女に

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 [ひとりごと・考えること]

ボールに迫っていく脚は美しいと思うのです。
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10日経ち [ひとりごと・考えること]

2011年3月11日(金)14時46分。

「東日本」あるいは「東北地方太平洋沖」と付けられた大地震から
10日が過ぎた。

長く感じた。
一日一日無事に終わることを、これほど有難いと感じたことは
今まで無かった。


被災地ではないのに。
激しい揺れに遭いはしたけれど、家族も家も無事で毎日ちゃんと暖かいところに居て食べるものも有って、それなのに。

あの日。

鉄道が止まり歩いて帰ろうと決めた時に寒さを一段と厳しく感じたこと、

長女が出先から帰れなくなり一晩避難場所で過ごしたこと、

度々の余震に、いつもは自室にこもっている次女があの夜は私のそばから離れず
一緒にリビングで寝たこと、

そして何より、
発生から数時間メールも電話も通じずに家族の安否が分からなかったこと。


被災地の人たちとは比べ物にならない、ずっと軽いことであるのに
それでさえ、小さくないショックを受けてしまった。

TVに流れる現地の映像に、気持ちがますます萎縮しておびえて
必要以上に縮こまっていた。
あらためて自分のひ弱さを思い知らされた。
2、3日は娘たちと離れて過ごすことが出来なかった。
娘たちが心配なのと同時に、自分自身が心細かったんだと思う。

余震の減少とともに少しずつ落ち着いてきて、
仕事先で誰かと話すことで安心したり、娘たちが笑っているのを見て安堵したり。
リハビリのような。

少しずつ
音楽を聴いて、コーヒーを飲んで、本を読んで、
演劇を観て。
日常の感覚が戻ってきている。
地震発生直後にメールをくれていた友達、北海道や九州から電話をくれた親戚、
SNSやTwitterで多くの人の言葉に考えたり励まされたり、笑わせてもらったり。




正直、私の体験なんぞ殊更書くほどのことじゃない、書くだけ押しつけがましいかもしれないと
下書きを書いたままお蔵入りにしようと何度か思ったのだけれど、
ここに書くことで少し気持ちが緩むような気がして、申し訳ないけれどそれを許してもらえればと思う。


募金や品物の提供や、出来ることを少しずつやっていく。
毎日を、自分のするべきことをやっていく。



今日は春分の日です。
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今年も8月6日を [ひとりごと・考えること]

ご無沙汰です。

7月から続く暑さは
酷暑猛暑という言葉も逃げちゃうほどもう大変なものですが、
その暑さになんの負けるものかと
今日も負けないよと思えるのも
平和だからこそだよ、と
今日の朝は思いました。

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実はこの写真は今日撮ったものじゃありません。ごめんなさい。
でも、今日だと言っても全く疑いなく信じることができます。
今日も花が咲いています。
小さな平和です。
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ミラノさん [ひとりごと・考えること]

昨日は田嶋ミラノさんの命日でした。

と言っても
私は映像でしかミラノさんを観たことがなくて
まだキャラメルのことも分かっていない頃で、
だから客演さんだと知ったのも、しばらく後だったんじゃないかな。
ただ、やたら気の強そうな、でもものすごく脆そうな、危うい感じの美人女優さんだなと思ったものでした。

その後惑星ピスタチオの舞台を、やはり映像で観て
キャラメルとのギャップに驚いて
それでもやっぱり感じるものには同じような感覚があって。

今思うと
何となくだけど、
彼女は前のめりで生き急いでいたような気もします。
出来ることを出来るだけ早く。
今だからそう思うのかもしれないけれど。

正直、何年前に亡くなったのか、今すぐに分かりません。
ミラノさんの歳もおぼろげにしか分かりません。
父の命日に近いから、ぐらいの理由でかろうじて命日を覚えているだけかもしれない。

それでも、こうして思い出すと
強烈な印象で蘇ってきます。
他に似たような役者さんを思い起こすことが難しい、
個性を持った方だったんだな。

今この世に居て
もしもキャラメルの舞台に立たれることがあったら
一体どんなインパクトを与えてくれるんだろう。
そう思わせてくれる女優。


ミラノさん。

私がTV画面の中に初めて貴女を観た舞台が
今年の夏、また帰ってきます。
10年前と比較はしないけれど
セットも音楽も違うものになってしまうそうだけれど
でも
お芝居が始まったら
多分そこに貴女の影を感じてしまうんじゃないかと思います。
舞台のどこかにいる貴女を。
きっと
貴女も観たい舞台じゃないかと思うので。
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黒マジックでぐしゃぐしゃと [ひとりごと・考えること]

サイドバーにこそっと書いてありますが
サッカー&フットサル用のblogを作ったりしております。
以前書いたものを移行して
今年になってからは新たに書いております。

が。が。が。

なんというか、こういうものは書いた後読み直すとめちゃくちゃ恥ずかしいですな。

書いている時はそういう意識は無いものの
なんだかいっちょまえの口きいてるじゃないか、というものばかりで。

あ~恥ずかしい。
今思い出したもんだから、またもや恥ずかしい。
できるものならば、黒マジックでぐしゃぐしゃと塗りつぶしたい。画面ごと。無理です(笑)。

観劇記事にも共通するのですけど
自分の感触、印象をできるだけ忠実に書こうとすればするほど
ご大層なものになっていくようで
こういう書き方になってしまうのは総て自分自身に起因しているので
どうしようもなく。


と言い訳がましいのもよけいに恥ずかしいね(笑)。


観続けて書き続けていけば、段々マシになっていくかと思ったのですけど
なかなか道は遠い。
いや、まだまだ始めたばっかりだし。


ということで
ここでは珍しくひとりごと。
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靴を捨てた [ひとりごと・考えること]

昨年の大掃除の隠れたテーマが「捨てる」だった。

溜まってしまった(貯めてしまった)不要なものを随分捨てた。
それでもまだまだ残っている。
暖房の効かない寒い部屋の中は、作業するのが辛いので殆ど手つかずのままだが、
あったかくなってからやる、と家族には宣言してある。

その中で、下駄箱の中を整理できたのは、収穫だった。
年々子供たちの履き物が増えていくのに、サイズが合わなくなった靴を始末しきれずにいて、
いい加減スペースが無いところにさらに押し込んでいたものだから、収拾がつかなくなっている。
今年こそ、と、暮れの一日下駄箱と取り組んだ。


履きつぶし直前の子供のスニーカーや、
安かったから買ってきたはいいもののやっぱり足に合わずお蔵入りになっていた連れ合いの靴(靴は本人を連れていって買いましょう)など、
目につく端から、捨てていった。
もったいないという声も聞こえそうだが
とにかく「捨てる」モードだったから勢いが止まらない。


そして、大量に処分したものの筆頭は、私が以前履いていた靴たちだった。

独身の時によそゆきに買ったハイヒールが大半。
気に入って買って、結構大事に履いていたけれど、
もう色があせていたりシミが浮いていたり、皮が傷んでいたり、
今おしゃれした時に履くかと言われたら…迷った末、結局また箱に戻すだろう。

そしてそれ以前に、
もうそんなにハイヒールを履く機会が無くなった。
冠婚葬祭用の黒いパンプスと、あと2足ぐらいあれば用が足りる。

それよりも、カカトがぺっちゃんこだったりつま先に余裕のあるものの方が
今は遥かに重宝しているし、安心して履ける。

若いころ、足が痛いのにハイヒールを履きとおして一日過ごしていた
あの我慢はどこから来ていたんだろう。
痛かったり締め付けられるのが当たり前だったんだろうか。
もう忘れちゃったな。


そんな靴たち。もう履かないと分かっていながら、随分長いこと捨てられなかった靴たち。
思い切りよくゴミ袋に放り込んでみたら、
体のどこかを縛っていた何かがはずれたような気がした。

そして、意外と簡単に捨てられるもんだったんだ、と気がつく。

こういう靴を履いていた頃の自分。
仕事をばりばりしていた頃でもあるし
自分の意志で行き先を決めることができた頃でもある、
かつての自分。
それを惜しむとか戻りたいとかいうのではないけれど、
どこかで大切にしておきたい気持ちがあったのは事実。
そこにあった「自分自身」の残影を懐かしがっていたと言えるのかな。
「今までやるべきことは一応やってきました」
そういう象徴が、おそらく「靴」だったんだじゃないか。


でも実はそういう「過去」は、もう必要ない。
今の私、案外強い。
何も無くなっても、もしかしたら多分生きていける。
これからの方が大事だと思うことができる。
そう思えるようになったは、最近のことだけれど。


靴を捨てて、さて見まわしてみると、
ここ2、3年の間に買った履きやすい靴が元気よく並んでいる。
これらを履いて歩いて、いつか履きつぶして
そしてまた新しい履きやすい靴を買おう。

靴を捨てられるかどうかは、私にとって試金石だった。
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《童話》 あかい ことり [ひとりごと・考えること]

あかい ことり に あいました


あかい ことり は

くると めを ひらいて

こくりと くびを かしげて

こんにちは と いいました

わたしも こんにちは と いいました

そうして あかい ことり は にっこりしました


わたしは あかい ことり が

いつもは にんげんのすがたをしている ことや

ほんとうは 

にんげんのすがたをしていない ことを しっています


でも

どんなすがた でも

わたしには あかい ことり が わかります

あかい ことり が 

あかく なくても わかります

それは ふしぎなこと ではなくて

「ひつぜん」 なのだと

わたしは おもいます



  赤い鳥 小鳥
  なぜなぜ赤い
  赤い実を食べた


あの あかい ことり は

なにを たべたのでしょう



いいえ

たべたのではありません

さいしょから

あかかった のです

さいしょから

あかくて いじらしかった のです



そうして わたしは また

あかい ことり に であうことでしょう


                                   ―おわり―
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